コラム

作品のアーカイブ化の先にみえてくるもの

2020年01月21日 (火)

2018年度 共生の芸術祭「アートと障害のアーカイブ・京都」でのトークイベント(右側が服部正氏、左側はみずのき美術館の奥山理子氏)

アーカイブ事業の取り組みの今日における意義や可能性について、アウトサイダー・アート、アール・ブリュットの研究者である服部正氏に寄稿していただいた。

 何もかもが記録に残る時代だ。ふと5年ほど前にある人とある話題についてやり取りしたことを思い出す。パソコンでメールの履歴を検索すると、それがいつのことで、どのような内容だったのか、瞬時にしてすべてを時系列でたどることができる。電話や手紙のやり取りだとこうはいかない。しかし同時に、何の記録も残らない時代でもある。おそらく将来において、表現の自由と公的機関の文化支援のあり方の転換を象徴する出来事として記憶されるであろう重大な決定が2019年9月に行われたが、その経緯を示す議事録は一切存在しないのだという。このような時代だからこそ、都合の悪い情報は周到に隠蔽される。記録を残さないためには、明確な意思が必要な時代だ。意図的に消去しない限り、私のメール送受信の履歴はいつまでも残る。

 一昔前はそうではなかった。記録を残すことには、強固な意志と膨大な労力が必要だった。それゆえ、何が残すべき記録なのかを精査するのが常だった。美術展の記録は比較的よく残されていて、美術年鑑をたどれば戦前の主要な団体展の出品作品はすべて作者と題名を知ることができるし、名の知れた画家の個展なら出品作品のリストが残っている。それは展覧会の絶対数が少なかったからこそ可能だったとも言える。今日、至る所で大小さまざまな展覧会が連日開催されている。そのテンポはあまりに速く、ほとんど何の記録も残っていない展覧会も多い。メールのようなデジタルなやり取りではなく、実作品の移動を伴うアナログなやり取りを記録するには、現代でも大きな労力が必要だ。こうして、ある作家の展覧会履歴が完全にはたどれないとか、ある作品の展示履歴や貸出履歴が不明であるというようなことが起こる。さすがに公立美術館の所蔵品についてはそのような事態は稀だと思われるが、作品の管理が美術館ほど厳格ではない福祉事業所においては日常的なことだろう。ふと5年ほど前にこの作品がある展覧会に出品されたことを思い出す。しかし、それがどのような展覧会で、どのような経緯で出品されたのか、どこにも記録が残っていないということも起こり得る。

「アートと障害のアーカイブ・京都」アーカイブ作業風景

 それについては、次のような反応もあるだろう。その一、一体それがどうしたというのだ、その二、そんなこと言われても無理に決まっている。前者については、その作品や作者の未来をあなたは予見することなどできないと伝えたい。もしかすると、どこかのコレクターがやって来てその作品を購入したいと言うかもしれない。その人は美術品の収集家としては当然の振る舞いとして、この作品の過去の展覧会歴を尋ねるかもしれないし、できれば過去にどの展覧会にも出品していない作品を求めるかもしれない。あるいは、その作り手が有名になり個展が開催されて個人画集が出版されるということもあり得る。編集者は画集制作の慣例通りに各作品の出品履歴と作者の展覧会履歴を掲載することを望み、当然そのデータを事業所が提供してくれるものと期待している。

 ここで第二の言葉が発される。そんなこと無理なんです。それはまったくその通りだ。私はここで福祉事業者の怠慢を責めているわけではない。福祉事業所での創作活動の目的は、あくまでも当事者の生活支援である。そこには、自己決定力や自尊感情を高めるとか、社会参加の機会を増やすとか、就労やそれに伴う収入の可能性を探るなど、さまざまな次元と目的があるだろう。作品の記録を正確に残して作品の価値を高めることも、広い意味ではその目的に適うものだが、優先順位としてはやや低い。より直接的に、当事者支援のために事業所が取り組まなければならないことが山積しているからだ。しかもそれに割ける人的資源は必ずしも十分ではない。

「アートと障害のアーカイブ・京都」アーカイブ作業風景

 そこで重要になってくるのが、このようなアーカイブ化プロジェクトや、このプロジェクトの実務を担っている「きょうと障害者文化芸術推進機構」が運営するart space co-jinのような中間的機関の役割だ。作品の記録を丹念に取り続け、それを体系的に整理して管理する作業は福祉事業所が単体では取り組むにはハードルが高い。そこで、事業所と協力しながら第三者機関が記録を整理して管理・公開するこのような仕組みは、事業所にとっても、作者・作品にとっても、鑑賞者にとっても理想的な環境だろう。今はまだ試行段階だが、事業所や展覧会企画者が未整理の生情報をアーカイブ化プロジェクトの運営者に伝え、運営者はそれを分類・整理して検索・閲覧しやすいデータベースとして提供する。愛好家や展覧会企画者はその情報に自由にアクセスし、作品購入の希望を事業所に伝えたり、展覧会を企画する時のツールとして利用することができる。それらの活動は巡り巡って、当事者の自尊感情や社会参加に良い影響を与える。こうして、美術品が公共の財産として適正なかたちで社会の中を循環するための環境が、近い将来に京都で実現するのではないかと期待を抱く。それは共生社会に向けての決して小さくはない一歩だと思う。

京都府亀岡市に、1964年から創作活動を行っているこの分野の先駆的事業所、社会福祉法人松花苑みずのきがある。日本画家の西垣籌一(1912〜2000)が指導した「絵画教室」で生み出された作品は、1990年代初頭に美術界から注目を集め、日本の公立美術館が自らの企画で知的な障害のある人の作品を展示した最初期の事例のひとつである世田谷美術館の「日本のアウトサイダー・アート」展(1993年)でも紹介された。1994年には、日本人の作家として初めてスイスのローザンヌ市にあるアール・ブリュット・コレクションに6名32点の作品が収蔵されている。

みずのき美術館 撮影:阿野太一
みずのき美術館収蔵庫

 しかし、障害のある人の美術作品という時に間違いなく京都府を代表する施設のひとつであるはずの「みずのき」の作品が、このアーカイブには存在しない。だがこれは、運営者の怠慢というわけではない。みずのきには独自のアーカイブがあるからだ。残念ながらみずのきのアーカイブはインターネット上での一般公開はされておらず、みずのきが運営するみずのき美術館での展覧会など、私たちがアクセスできる機会は極めて限られている。しかし、いずれは約2万点と言われるみずのきの作品アーカイブが整備され、一般に公開される日が来るだろう。その時には、この「アートと障害のアーカイブ・京都」からもリンクされてアクセスが可能になることも期待される。これはとても示唆的な事業モデルといえるし、実際に京都府のアーカイブから福島県の社会福祉法人安積愛育園と福山市の社会福祉法人創樹会へのリンクというかたちで、このモデルが部分的に実現している。

 創作活動を行う事業所が自前で作品のアーカイブを整備することは困難であると先に述べたが、そもそも展覧会を企画することも実は容易なことではない。そこで求められる技術や知識は、福祉事業所のスタッフとして必要なそれとはまったく異なるからだ。日本で近年行われている障害のある人の創作活動の場合、福祉事業所が創作の現場から作品の保管、作品のアウトプットの場としての展覧会や出版活動をすべてオールインワンで行っているところに無理が生じていることが多い。それは、障害者の文化芸術活動を担う行政においても同様だ。欧米の著名な障害者のためのアトリエの多くは作品の展示・保管・販売を行うギャラリースペースを併設しているが、アトリエとギャラリーの運営は異なるスタッフが担っていることが多い。必要とされるスキルが異なるのだから、それは自然なことだろう。みずのきが独自でアーカイブを構築することが可能なのは、みずのき美術館を設立して当事者支援の現場からは独立した組織として作品の管理が行えるからだ。それだけの体力や意欲のある法人や事業所は確かに日本にも存在するし、そのような場所が増えていくことは障害のある人の芸術活動の促進という点では望ましい。「アートと障害のアーカイブ・京都」は、そのような施設がこれからアーカイブ化事業に取り組む時のひとつのモデルとなるだろう。一方、自前で作品のアーカイブ化を行うことが難しいような小規模なアトリエについては、「アートと障害のアーカイブ・京都」とart space co-jinがデータの管理や作品展示を積極的に引き受けることができれば理想的だ。限られたスタッフで運営している小規模な事業所に無理を強いるのではなく、美術館関係者やアーティストなどの外部の人的資源を積極的に活用することで不足を補うことが可能であるということを、これまでの「アートと障害のアーカイブ・京都」の活動は示している。

 そしてこのモデルが全国に広がっていけば、と夢はふくらむ。ゆくゆくは、全国各地の主要な法人・事業所によるアーカイブと、地方自治体が支援する中間機関によるアーカイブが有機的に連動し、全国規模で障害のある人の作品を閲覧・検索できる巨大なアーカイブのネットワークが構築されるかもしれない。それは、日本の6つの国立美術館ですら実現できていないことだ。今はまだ小規模なアーカイブの映し出されたPCモニターの前で、私たちは大きな夢の入口に立っているのかも知れない。

執筆者
服部正(はっとり・ただし)
甲南大学文学部教授
 1967年兵庫県生まれ。兵庫県立美術館、横尾忠則現代美術館学芸員を経て、2013年より甲南大学文学部准教授、2019年より現職。アウトサイダー・アートやアール・ブリュット、障害者の創作活動などについての研究や展覧会企画を行っている。
 著書に、『アウトサイダー・アート』(光文社新書、2003年)、『山下清と昭和の美術』(共著、名古屋大学出版会、2014年)、『障がいのある人の創作活動』(編著、あいり出版、2016年)、『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』(監修、国書刊行会2017年)など。