インタビュー

光島貴之インタビュー

2021年09月07日 (火)

光島貴之さんに昔のスケッチブックを触りながら、その絵についてや当時考えていたことを振り返り、自由に話をして頂いた。スタッフの高内さんにも同席してもらい、光島さんのアトリエにてインタビューを実施した。
(インタビュー実施日:2021年7月6日)

──(今村、アーカイブスタッフ、以下略)古い方からいきましょうか。ちょっと触りながらその辺にまつわる話を聞けたらなと思います。

(光島、以下略)なんかパラパラっと見てもらって、わりと枚数もあるので、これの話みたいなことをきいてもらったら。気になるようなところをというのもアリかなと思いますけど。

──そうですね、そうしましょうか。こちらのスケッチブックは、95年から96年と書かれていますが、平面の制作を始めてどれくらいですか?

始めてすぐぐらいですね。

──モチーフはいろいろ、顔だったり、、

そうですね、最後の方に顔があったのかな。

──最初から顔がでてきてますね。

ありましたか。

──はい、これ顔ですよね、2枚目です。

あ、そうですね。(点字を触りながら)95年9月ということは、95年に描き始めたので、本当に最初の頃やと思います。

──横顔っぽいですね。

横顔ですね。

──こういうのって描いた時のことを覚えてたりするもんですか?

覚えてたりするのもあるんですけど、これはねー、あんまりはっきり憶えてない。

──1枚目とかどうですか、これが1枚目。

これも95年9月ですね。これ、なんだ?

──コップとか、缶とか?

そうですねー。ちょうど「缶コーヒーを飲む」(https://kyoto-aapd.jp/a/w/67952/)とかを描いた時期なので、缶かジョッキ。これが、底ですよね。

──その上に取っ手かなにかが、それなんですかね?

これ、なんやろうって言ってたんですよね。あ、点字で、一応コーヒーカップって書いてました。

──コーヒーカップなんですね。そこ、やっぱりカップの持ち手じゃないですかね。

あ、これは持ち手なんですけど、これは?

(高内)二股みたいに上の部分がなってますね。

──上が開いているんですね

そっか。わかりました。持ち手がこういうふうに上に飛び上がっている、そういうコーヒーカップが家にあって、それを正確に。この頃はこういうカップというか、水差しとか、観賞用のかぼちゃとか描いてたことがあるんですよね。

──額装されてた「缶コーヒーを飲む」かな?あれとこのスケッチブックだとどっちが先なんですか?

うーんこれのほうが先かな。

──じゃあこれをやって、、

やってから、「缶コーヒー…」に進んだと。このあたり、まだその自分で見ても底が丸くて、ラインが入っているのはたぶんなんか文字がそこに書いてあるのをこのラインを描いているんですね。
でも、なんかバラけてるじゃないですか。底が全く別になっていて、この側面があるんですけど、かろうじてこの上の面は繋がっている。「缶コーヒーを飲む」とかになってくると、もうちょっとこれをこちらでズラしてとか、重ねるような感じで描いたり。

──そうですね、展開図的な。

そのように描くようになった、その前の段階ですね。

──うん。

次のこれは、抽象的な、「向かい合う」とかというタイトルをつけてるんですけど、さっきみたいな具体的なものじゃないものを描こうという気持ちで描いているんです。でも、今から思うと非常に慣れ、ですよね、対称的というか、左右がこうバランスが取れすぎてるみたいな感じがして。この時この頃よく言われてたんですよ、うまく収まりすぎているって。もうちょっと不安定の方が面白いんじゃないかって、知り合いの画家の人によく言われていて、いかに中心をずらすかみたいな事が自分のテーマだったんです。どうしても真ん中にうまく収めるっていう風に描いてしまう、っていうのがちょっと自分でもいやだったりしたかな。

──そのあと抽象的なのがつづいてますね。なんかの流れのような。

タイトルが「包み込む」。

──これも抽象的なイメージ

はい。ですけど、この辺、粘土もやってた時期なんですよね。で、粘土の作品を作ってその形を絵にするようなこともしていて、多分これは、粘土の作品に似たような形のものがあったと思います。その作品は売れてしまっていて手元になかったので、この前、アーカイブで撮影してもらった中には似たようなものはなかったかもしれないですけど、まあるい形で、ちょっとこう先がとんがっているそういうなものを作ってて、そのイメージを描いたんやと思います。

──確かに、そう言われたら、そう見えますね

「二つの極」かぁ。これもなんかうまく。どうなんですかね、こういうなのって。うまくかけすぎてるっていうか。高内さん、どう?

(高内)え?

高内さんこういうの好きかもしれない。

(高内)いや、そうでもない。

そうでもない。

──判断難しいですね。

好き嫌いはあるけど。なんか、この頃は一応哲学科卒を自負していたようなところがあって、対立とかね葛藤とか、極とかね、なんかそんな言葉のイメージから抽象的なものを作っていたと思います。

──これは、人ですか?

はい、「肩の凝った背中」。これはたぶんそういうのを描き始めた最初でしょうねえ。
背骨をこういう風に描き始めた、 たぶん初めてだと思うんですよね。
このへん に肩こりの、凝った僧帽筋があって、で、肩甲骨があって。

──はいはいはい。

これも肩甲骨があって、肩甲骨の中に、この辺が凝ってるイメージ。そういうのを割と描いていました。それで首のところの凝りとかね。これは耳か、耳ですね。やっぱりその鍼灸をまだまだメインでやってた時期でわりとそっちの方で忙しくはしていたので、その鍼をして観察している人の背中が一番触る機会が多いんですよね。その当時って結構人にこういうふうに対面してしゃべるのとかって苦手だったんですね、けっこう。なんか見られてるって言うような気がするんかな。で、患者さんとの間でも患者さんを寝かしたり横にしたりとかして、背中から鍼をするとかいうことが多いですよね。対面ではお腹とかもあるんですけどそうじゃなくて背中とかにすることが多い。そういうときの方が患者さんともうまくしゃべれる。こっちも楽な気持ちでしゃべれて、患者さんもたぶん、楽な気持ちでしゃべれてるのかなっていうこともあって、というような時の気持ちも含めて背中を描くっていうのが、あったと思います。

──95年っていうのはどういう感じでしょうか?陶器での制作はもうちょっと前からですか?

はい、92年から やってるので、そうですね、粘土の方が本当に盛んでちょうど95年っていうのは、フラビオ・ティトロというイタリア人の全盲の彫刻家に夏に会いに行ってこのラインテープを使おうと思った年。それが7月ぐらいで、帰って来てもうすぐ描き始めてて、これが95年11月、ですよね。

──じゃあ、そのすぐ後ぐらい。

これは、人の顔ですよね。三つ編みの人のイメージ。誰でも顔を触らせてくれるわけじゃないんですけど、ちょっと親しくしてて、顔を触らせてもらえるぐらいの関係というか、女の人の顔を触って描いたイメージで、まぁ要するに三つ編みが特徴だったのでそれを書きたかったていう感じです。顔がこう言う顔をしてたのかどうかは、ちょっと。でも、こうほっぺたというか、エラというか、割と張っている感じで、細い人だったというイメージがあるんですけど、これでみてみると、わりとふっくらしてますよね。そうでもないかな?

──もしかすると、触るのと、僕が目で見るのと違うかもしれないですよね。

これだと、アゴはとんがっているイメージ?

──はい、そうですね。

あ、それは合ってます。そういう風に描きたかった。実際に触っていた顔はほっそりとしていた気がするんですけど。絵にすると、なんか、、。

──いや、太ってもいないですよ。どっちかっていうとほっそりですよ。高内さん、どうですか? 

(高内)線が二重になってるからね、ほっぺたのぽこってでている部分じゃない内側の線の顔の方は割とシュッとしたほうやなって。

どこ?

──これ、耳じゃないですか?

そう、耳。

(高内)ああ、じゃあ、しゅっとしてると思います。

──これが、頬骨ですか?

それですね。僕の場合、骨が基本になるので、顔を描くときは頬骨を確認しながら、自分の骨もこういう風になってるかな?と思って描いていましたね。で、目の描き方とかは、ようわからんなぁと思って描いてました。眼球というか、その周りの骨を描いているんですよね。真ん中はまぶた。

──しばらく抽象的なのが続きますね。3つ4つぐらい抽象的なのが続きます。

これもミューズで制作した、「意識」っていう粘土の作品。西村陽平さんのミューズカンパニーっていうところのワークショップで。

──東京まで通ってたんですよね。

はい、この当時は月1ぐらいで東京行ってたんですよね。東京で粘土の作品をつくって、1日か1泊2日くらい。その時に作った粘土の作品のイメージ。

──粘土の形そのものというよりは、そのイメージを膨らますような抽象的なドローイングみたいな感じですか?

そうですね、粘土は立体なので、自分で作ったものであったとしてもそれをそのまま絵にどうしたらいいか分からない。描き方がわからない。これも巻貝のイメージです。これも粘土の作品。粘土の時に、西村先生から手渡されたされた巻貝か何かを作ろうと思って作った作品、作品というよりもそのモチーフのイメージですね。どっちかというとこれは。でも、これは作品にはならなかったような気がするなあ。

──これは粘土っぽいですね。

これはアーカイブの中にありますよ。平べったい、魚のマンタとか言ってた作品(https://kyoto-aapd.jp/a/w/78727/)。あの作品のイメージですね。あれよりなんか細い感じがしますけど。原型はこんな感じ、をイメージしていたのかなあ。結構そういう立体を平面にするっていうのは、やっぱり難しかったですよね。悩んでたと思います。

──光島さんのエッセイで、光島さんの絵には遠近法がない、ティトロさんは遠近法を持った絵を書いてるから、それが光島さんには分かりづらかった、と書いておられたんですけど。

そうですね。ティトロさんは二十歳ぐらいで見えなくなった人なので、遠近法を使って自分の石を切り出すときの下絵を描いていた、でも、ちょっとわかりづらいけどラインテープで描いたスケッチブックを触るのは、すごい楽しかったというようなことを書いていたと思います。

──ティトロさんのものは、目が見えてる人が見て、形として見えやすいドローイングだったのでしょうか。遠近法に則って描かれているということは、たぶん視覚的なドローイングだから、、

そうですね、でもそのローイングは、当時一緒に行った人もいたんだけど、僕一人でほとんど触ってたので、ああだとか、こうだとかっていうことなく、ただとりあえず触るのが面白かったみたいな感じだったので、どこまで遠近を使ってたかとかは、はっきりは覚えてないんですよね。

「浮かび上がる」、これも95年。

──これも陶器の作品?

あーとね、いやこれは多分関係がないです。浮かび上がるというイメージはどちらかというと、その当時、麻原彰晃。

──ああ。

95年、違うかなぁ。

──そう95年ですね。じゃあ、人とか座禅のイメージも?

いや、そこまではなくて、なんか浮かび上がるって面白そうやなって、その言葉からイメージして描いただけやとは思うんですけどね。まぁ、麻原彰晃も全盲に近い弱視で、盲学校を卒業してるんですよね。そういう意味での興味もちょっとくらいあって、というか面白いなと思って。そういうところからたぶん鍼とか灸とかマッサージの免許を持って、それからまたヨガの勉強して、そこから宗教をはじめてトップになっていくっていうそのストーリーも含めて、面白い人がいるなあってそんなことを思ったように思いますね。

次、これは、「ウエストポーチ」。これは、その当時は僕は必ず出かけるときは、なるべく両手を空けておきたいということで、リュックとかウエストポーチとかだったので。常に持っているものを描こうと思って、描きました。

これもまだミューズカンパニーですね。

──そうですよね、これはすごく陶器の感じがありますね。

(点字は)制作中としか書いていないですけど、さっきの丸っこいのにちょっと似てるかな。さっき1回出てきた。黒い黒陶で仕上げるような作品を作っていて、スプーンで表面をツルツルに磨くようなそういうスタイルの作品を作っていた時のイメージですね。これは割とはっきり覚えていますね。

──次が、初めて色が入ってきますね。

あ、入ってる?今まで全然なかったですか?

──なかったです。ずっと黒だったんですけど、今回初めて赤色が。

そうかそうか。当時、さっきみたいに黒しか使ってなかったんですけど、最初、絵画教室をやっている絵描きさんの友人のところに行ってたんですよね。で最初黒のラインということだけだったら、「赤も使ったら」ということで、色を使うようになったんですよね。
これ96年の11月なので、描き始めて1年くらいは経ってますね。「洋館の窓」っていうタイトルを付けてるんですけど、子供の時に住んでた堀川通りの向かい側に、こういう丸い窓の洋館が、ぼんやり僕の視力でも見えてたんですよね。その当時、0.01か0.02ぐらい。幼稚園か小学校のころで、その窓のイメージ。赤はなんとなくその記憶。どういうところに色を使えばいいのかよくわからない中で、赤で記憶っていうのをやってみようかと、そういう作品。昔に遡る、みたいな感じで。こことか何色使ってますか?

──黒ですね。縦のラインは、黒です。で、横に長く入ってるのが赤ですね。窓は黒です。

黒ですか。なんとなく、ぼんやり見てたけど、はっきりと覚えているほどでもないみたいな、かなり想像も含めて描いているような感じですかねえ。これは赤ですか?

──そこは黒と赤が混ざってます。

これは多分ですけど、堀川通が割と大きな通りで、その当時は歩道もなくて、周囲が土で真ん中に舗装の道があるような、そんな通りやったんですよね。歩道になるところが、土の道で真ん中に舗装された道路があってみたいな。昔はそんなんかな、だいたい、僕が小さい頃は。けど、車がわりと多かったので、堀川通の車の音とかヘッドライトとか、エンジン音かなあ。川ではなくて、堀川通のイメージのつもりだと思います。

このあたりで木が出てくるんですよ。

──そうですね。

「葛藤する木」。96年11月。これはねえ、木を描き始めたのは、ちょっと年代が前後してるかなあ。あのー、たぶんこの頃から2、3年カウンセリングに通ってた時期があって。実はちょっと精神的にしんどい時期で。カウンセリングで、木を描くっていうのがあるんですよね。箱庭っていうやり方もあるけど。木を描いてくれますかって言って、毎回最後に、その時は、ラインテープはないので鉛筆を渡されて、画用紙に、こう、グッと押さえ込むとちょっと跡が残るのですが、それを頼りに、あるは、こう一筆描きみたいな感じで、描き始めのところに手を置いておいて指でこう鉛筆で描いていって、戻ってきたら一応輪郭が結べるので、それで、木を描かされていて。で、その当時、なぜかいつも木を2本とか3本とか描いていて、1本の木っていうのはずっと書けなかったんですよ。
その当時のカウンセリングの中での目標みたいな、まあカウンセリングといっても、いわゆる非指示的なというか、自分で目標を見つけて、自分で解決していくみたいな感じのスタイルだったので、また当時、自立するっていう事が精神的にも自立するということが自分の目的、目指しているところだろうなと気がついたんですけどね。で、木を描いているうちに1本の木を描きたいと思って、ですけど何回描いてもほとんど2本の木を描くし、このスケッチブックとかに描いているのも当時2本、とかが多かったんです。
 2、3年して、たぶん99年ぐらいかな、その時に初めて自立した1本の木を描いたのを覚えてるんですけどね。それ以後、このスケッチブックの中にもそういう1本の木を描けるようになったんですけど、あれは不思議で何度描いても1本では描けなかった。

──その1本の木を描いたのはスケッチブックなんですか?それとも作品として一枚の紙に?

ええと、それは、カウンセリングの中で初めて1本の木が描けて、その後スケッチブックに描いていると思う。それ以来はもう、あの1本でも2本でも3本でも描けるっていう感じになったんですけど、描けなかった時期は不思議に、何か魔力にでも支配されているような感じでどうしても書けなかった時期があって。まあ、ちょうどね、アートをはじめて何年目か、アートパラリンピックとかで賞取ったりもしてたんですけど、粘土では物足りずに、絵をやり始めたりとか、やはり鍼灸の仕事もあるしとか、障害者アートの中での自分の立ち位置とかいろんなことで、なんか結構迷いの多い時代だったんですよ。

──なるほど。

──これも顔ですね。

これ、顔。これがね、「瀬音が叫ぶ」って、下の息子が瀬音(せおん)っていうんですけど。これは顔を触らしてもらって、なんか言えって言ったら、叫んだので、そんなことになったんですけど、はははは

──アーカイブで撮った中にも同じようなテーマのものがあった気がします。(←取材時の勘違い、同じ作品)。

これとは違う?おんなじかな。「瀬音が叫ぶ」だったのかな?

──点字でタイトルがあって、セオンってなんだろうといっていて、ブログかなんか見て、ああ息子さんやと分かりました。

でもあれですね、アーカイブ作業で、全部点字を読んでくれてはったんですね

──点字、読みましたね。

ね、タイトルが合ってたので、あれっと思ってました。
さっきの女の人の顔もあるし、この息子の顔もあるし、まあ、まだまだこれは顔を描き始めた時期っていうそんな感じ。

──続いて、このスケッチブックは、96年から97年ってなっています。

これは、「二本の木」っていうタイトルを付けていて、これもやっぱりミューズで、あ、やっぱりちがうな。このころは、もう自宅でとか、あるいは、近くにある生駒陶芸教室というところに通って作らせてもらっていた時代で、東京のワークショップはもう無くなった時代なんですよね。99年くらいかな? 中止になって。その当時作ってた作品からイメージするような感じかな。なんとなく二本の木があって。

──けっこう赤を使ってますね。

それですね、もうこの頃になって結構色を使うようになってきてると思います

──光島さん、これ、逆さまじゃないですか?ここに、右上に点字があります。

あ、書いてたか。そうかこれが、逆さまやから逆さまやと思ったんやね。
あのね、描きっぱなしではあかんから制作年など点字でメモしておかないとと思ったりして、なんか自分でいろいろ試みてね。あの最初は絵の下の方に点字入れてたじゃないですか。でも裏に点字を入れるなら、どこに入れるか迷って、それなら絵の上下がわかるようにと思って、絵の上の裏側に貼って、裏側に指を差し入れたら(点字は逆さまでも読めたりする)便利だなと思ったんです。でもそれは長続きせず、いまでは制作年などわからなくなってみなさまを困らせていますね。

──こちらが上であってるんですね。

今の方向で、あっているんです。点字も。

──カッティングシートが出てきました。

はい、 これは、これも96年ですね、12月。長門峡のイメージ

──チョウモンキョウ?

えっとねーこれは、僕は中原中也が好きで、中原中也の詩の中に長門峡が出てくるんですけどね。「冬の長門峡」って言う詩があって、それがすごい好きで、その場所まで行ったことがあるんですけど。夕日がこう、差してきていて…、これ、方向、どうやったんかな。こう向けかなあと思うけれども。

──この裏側に、L字に(点字が貼られている)。

そうですね、はい。ええ、わからなくなった。おかしいな。橋のようなものがあります?無いよなあ…。本当は、もう一つ違うので、橋を描いているのがあるんですけどね。

──次の2枚目が似ているような感じのが、、同じやつだったりします?あ、でも、そんなに似てはないか。

うーん、ぜんぜん、ちがうな。あのー、思い出しました。たぶん、こう向けなんですよ。その当時、一人であちこちウロウロしてたんですけどね、長門峡という橋を渡って山のきわの道があって、そこをずっと行くとどこかに抜けられるんですけど、そこまで一人で何キロも歩くのは、絶対無理やと思って、ちょっと入って戻ってきたんですけど。なんかすごい山が迫ってて、反対側は川が流れてて。その山の迫ってくる感じがすごい感じられたんですよね。肌でというか空気感で。で、それのイメージを描いていて。これ、何色ですか?

──黒です。

黒ですか。たぶんこれ、山というか、崖っていうかそんなイメージを描いているんじゃないかなと思うんですけどね。

──次、これも黒と赤のラインテープ。

「上り詰める」とか書いてますけど。この辺から、カッティングシートを、だいたい96年くらいからいろいろ、面をやっぱり描くにはカッティングシートを使ったらって、それも友達の画家の人のアドバイスだったんですけど。

──ここで色が入ってきてます、カッティングシートに。水色とオレンジ。

これは、義眼のイメージなんですよね。高校生ぐらいから、緑内障で眼圧が上がって、頭が痛くなるんですよね。それでもう手術するしかないって言って眼球を摘出して義眼を入れるようになって。時々、出血することがあって、目が赤いよって言われるようなことがあったりした頃があって、その時の何となくイメージで、これが義眼。で、血が…、どこやろ?

──これが赤ですね。

これは何かな?何をイメージして描いたのかよく分からなかったんですけど。
半透明とか使っているんですよね?

──そこが半透明、というか、なんか変なものを使っているんですよね。

なんか字が入ってるんですよね。

──そうです、そうです。

その半透明のシートにメーカー名が書いてあって、それを知らずにね、使えるもんやと思って、そこまで使ってしまったんですけど。本当は、そこを切り離して使わないとあかんもんを、わからんもんから、一緒に使ってしまっていたという。だからまぁ、半透明っていうのがあるっていうので半透明のイメージは分からんまま、使っていたという感じですかね。

──これ、木ですね。3本ぐらい。

まだまだ、1本の木じゃない。ふふ。

──これが、96年から97年。これ、98年ですけど、これも木です。

ああ、そうですね。

──でも、まあやっぱりふたつです。

2本ですよね。はい。ふふ、面白いな。

──この辺ラインテープも色が。

あ、増えてますか?

──はい。さっきの木も増えてたんですが。

ああ、そっかそっか。

──緑とか、オレンジ、木の幹にオレンジを使ったりとか。緑も2種類使ったり。これは赤と水色を使っています。

これ98年ですよね。このあたりはもうかなり色をどんどん使い、自分でも使いたくなって、 どんどん増やしてた時期です。

──展覧会とかもされてたんですか、この時期って?

そうですね。グループ展は95年くらいから、してるんですけど、96年辺りから個展したりとか、98年は長野のアートパラリンピックに出した時で、その辺りから展覧会が増えて。

──じゃあ、いっぱいやっていたんですね。

まだいっぱいってほどではないんですけど、ギャラリーはねうさぎ(京都)とかで、やってたかな?

──これ、縦ですかね。おそらくこうですね。

顔か、、

──そうですね、おそらく。

全然、記憶がなかったんですよね、これ。こんな顔、よう描いたなって。

──帽子ですよね、上の。

たぶん、そうなんですよね。なんでこんなものを描いたのかが、ちょっとね。

(高内)これ、点字のイメージじゃないんですか?

これでしょ、これね。そうなんですけど、この間解読しようと思ったんやけど、やっぱり点字じゃないねん。だからひょっとしたら点字の形を切り抜いて他の作品に使った残りのシートだろうと、というふうに思います。

──なるほど。

点字なんですけど、文章になっていない。縦やったり横やったりしてるし。
なんか、ちょうどいいように切り抜けたから、それを使って帽子にしてやれと思ったんでしょうね、きっと。僕の中ではなんか、帽子というと、ピエロとか思い浮かべてしまうんですけど。ピエロかどうなんかようわからんけど、そんな感じにでもしてやれと思って、描いたような気はせんでもないんですけどね。

なんですか、これ?

──わからないです。でも、緑なので、もしかしたら草とか?黒と緑が入ってますね。

どっち向けかも、よくわかんない。これ木ですか?高内さん?

(高内)いや、なんか、わからないですけど、疏水とか描く時に、ちょっと似ている。

あ!ちょっと待って、疏水…。描いている可能性はあるな、疏水は描いている可能性あるなぁ。

(高内)直線とふにゃふにゃが重なっている、この描き方ってよくあったなと思って。ベーグルの時とか。

うん、うん。

(高内)上からバシャーって落ちている時とか。下はね、こうなっているんですよね。上からこうきて、下でバシャーってなっている。

んー、ちょっとちゃうなあ。ちょっとちゃうけど、水かもしれんな。でも、これは全然思い出せない、こないだから。
じゃあ、もうあっさりと通り過ぎましょか。。

(高内)これ、なんやろうって言ってたやつや。

──鍼じゃないんですか?

(高内)あ、鍼っぽいんですけど、分かれて出ているのがなんやろうなと。

鍼のイメージだと僕も思ったんですけど、どうも方向がおかしくて、鍼だとしたらこう向けかな。なんですけど。

──あ、でも人かもしれない? 手足があります。

んー。いや、分からない。

(高内)その説も、こないだでてました。

あったね。思い出せないんです。でも、ここの書き方は確かに鍼なんですけど。

──タイトルとかないんですね。

ないんですよね、これは。鍼を描いててもおかしくはないけど、ちょっと変な描き方してる。

次、顔ですよね、これはこないだ思い出した。あのね、何年やったっけな、ジャコメッティの彫刻を触ったことがあって、兵庫県立美術館で、で細長いじゃないですかあの人のって。でまぁ、触る前にそういう話を聞いてて、それから、矢内原伊作かな、とジャコメッティの、一緒に書いた一緒にというか、本があったりするのを読んでたんですよね。でまぁ、細長いって思ってその実際の彫刻を触ったら思ったほど細長くなかった気がして。で、でもまぁとにかくジャコメッティから受けた感じを描きたいなと思って描いたのがこれだと思います。

──意外と触ると細長くなかったりするんですかね?

たぶん作品にもよるんだと思うんですよね。もっと本当に細長いのもあるんじゃないかなと思うんですけど。なんか、触っても安全なぐらいのやつでしたね。ジャコメッティ触ったのはそこの兵庫県立美術館にあるやつだけで、それ以外のを触ってないので、ちょっと触りたいなと思いつつ。そういう触ったイメージから描いた絵でした。

──兵庫県立美術館で光島さんは展覧会をやってますね。あれはもっと後ですか

もっと後ですね。2001年とかです。

次のこれはちょっと別ですね。ワークショップ用の絵で、年代的にも少し後になるんですけどね。

──何のワークショップですか?

2004年ぐらいに始めたワークショップで、何回かワークショップをやってたんですけど、アイマスクをして触ってもらう絵っていうのを、初めて作ったその原画なんですね。これ「京阪天満橋」っていうタイトルなんですけど、立体コピーで作る原画なんですけど、これが線路なんですよね。天満橋のところで個展をしていて、京都から何回も1人で通ってて、その天満橋の絵を描いてそれをワークショップ用に使おうと思って。で、線路があって、ここがホームなんですよね。

──はい

立体コピーは黒いところが浮き上がるので、この丸いポツポツが浮き出るんですけど、そうすると点字ブロックのイメージにして、点字ブロックの中に誘導ブロックっていう細長い3本線ぐらいのがあって、こう点字ブロックを辿っていって、階段を上って、でまた、点字ブロック沿って歩いて行ったら自動改札があって。そこからまた点字ブロックを上って、また階段があって降りて、そしたら駅前に、裏の方かな、出るんですけど、そこに当時は自転車置き場が、っていうか放置自転車がいっぱいあって、そのタイヤのイメージを描いて、ていうのが一枚目。1枚目でそれをアイマスクをして、今みたいな順番に喋りながら触っていってもらうと、アイマスクを取ったら面白いっていう。その下絵ですね。

──スケッチブック、2004年から07年、でかくなります。

最後の方ですね。あ、こっちが古い?

──こっち2003年って書いてありますね、じゃあこちらのスケッチブックを先に。
だいぶ違いますね


間が抜けてるんで、ちょっと僕もどうなってるか分からないんですけど、どこかにスケッチブックがまだ残ってるかもしれないです。

──このスケッチブックって、僕らはもうこれアーカイブで撮ってるんでしたっけ?

あ、撮ってます、撮ってます。

──あ、撮ってるんですね。なんか、見たのか、見てないのか分からない。

──女性が、なにか、ドレスを着ているような。

多分このあたりはね、踊ってるとかね、なんかそういう絵を割と描いてた時期なので、多分その1枚だと思うんですけど。こういうのを描いたのは、全く忘れてて。

──初期の頃の方が覚えてるんですか?

そうなんですよね。これは、まぁそう言われたらそうかなあっていうぐらいで、あんまりクリアに思い出せないというか。まぁ、色の使い方とかで、この当時、2003年とかそれくらいかなぁっていう感じですかね。

で、次のこれもよう分からんですね…。

──そうですね、ちょっと抽象的な。

この当時は壁紙を使い始めてるんです、このザラザラっとしたやつ。壁紙を提供してくれる人がいて、手触りが違うので、カッティングシートは色が違っていても手触り同じなので、違うものを使いたいなと思って、壁紙を使っていた。で、全くこれは抽象的な感じで描いたんでしょう。
壁紙を使いたいために描いたかどうか分かんないんですけど。
これだけかな?このスケッチブック。なぜか終わってますね。

これ、今日、まだ撮ってもらってないやつを見つけてしまったので、いいかなと思って持ってきているんですけど。最後にしますか?

──そうですね、スケッチブックの方を先にいきましょうか。

これはね、多分写真には撮ってもらってないやつなんですけど、何かっていうのが、こないだ謎が解けまして。川越市立美術館でタッチアートコーナーっていうのがあるんですよね。そこに、「わがままな記憶を形にしてさかのぼる」(https://kyoto-aapd.jp/a/sw/79474/)っていう30点ぐらいの作品があったと思うんですけど、それを展示するときに、そのタッチアートコーナーっていうのがこう言う部屋の壁面に沿って展示台が設置されている、それをイメージするために自分で長さをだいたい合わせて作ったというのがこれでした。

──立方体と平面とか混ざってる作品ですよね。

このコーナーとかに立方体を置くというイメージでやってたので、そんな感じです。

これなんでしたっけ?

──結構形が複雑になってますよね。

この辺りから色々、サークルカッターっていうのかな、丸く切り抜くようなやつとかを使うということを覚えたもんやから、こういう穴を開けたりとか、それから、丸シールですよね、文房具で売ってる、ああいうのも使って、増えているというか。点字じゃないやんなあ…、これも、ちょっとわけわからんような感じのものを描いてますよね。

──う〜ん、形としては、何ですかね、ビジュアル的に見ても割と面白かったりはしますけどね。何に見えるってものじゃないんですけど、なんか色と形が点在しているので。

一応そういうことを考えて、作ってたとは思うんですけどね

──これ結構カラフルです。

この頃、色をとにかくたくさん使おうという感じがありましたよね。

──これは?色は前に光島さん言ってたと思うんですけど、自分で機械で色を読み上げたり?

あ、そうそう、カラートークっていう機械があって、それを使ったり、ラインテープは点字でケースに色名を書いてたりしているんですけどね。

(高内)これも、なんやろなって言ってた。こっち側に月の満ち欠けみたいな。竹のリズムっぽいねって言ってた。

──何のリズムですか?

(高内)竹のリズムです

──竹林とかですか?

元々は、2003年くらいかな、サンフランシスコで個展したことがあって、フランシスコの空港に何か竹のイメージのなんか庭みたいなのがあったんですよね。で、ちょっとその竹を触ったことがあって、それ以来その竹のイメージっていうのが、僕の中ではあって、それを割と多用して、サンフランシスコのイメージにもしてしまっているようなところがある。そんな作品ですね。これは間違いなくその竹。

──次、潔い感じ、シンプル。だけど線が太いので力強い。なんですかこれ?

これも分からなかったんだよなぁ。

(高内)道路かなとか言って。。

でも行き止まりになってるんですよね、行き止まりというかなんというか

──そうですね。で、赤でそこがちょっと囲まれてますね

これも謎でね、ちょっと分からないんですね。全然記憶が飛んでいるというか。何かの道かなぁやっぱり。

さっき言うてた知り合いで画家の人がいるんですけど、百万遍の方に住んでて、自分一人で行ける家なんですよね。そのイメージを描いてて。これが今出川通。

──道なんですね。

路地があって、こう路地入っていくんですけど、細い路地入っていくと、駐車場かなんかあってここは急に広がるんですよね。狭いとこから広いところに出て広がる感じ、が面白くって。そんなことを描きたかった。で、なんとなく家が並んでいるイメージ。

──そういうことなんですね。

このタイプの作品はいくつかあるんですけどね。大体が町というか家っていうか。それを表してる感じですね。

──今出川通がどんどん細くなっていってるんですけど。

ああ、はい。これは多分、遠近法というものがあるっていうので、

──あ、そうなんですか?

やってみようと思って、ちょっと遊びました。よう分からへんけど、こうしたら遠近法になるんかなと思って。

──最初、木の一種かなぁと思ってたんですけど、道って言われて見ると、なんかその細くなっていき方が気になって、遠近法のようにも見えるので。へぇー。

遠近法が不思議で。今もそうなんですけど。ちょっとぐらい描いてみてもいいかなぁって真似したらこんなことになったという。

──面白いですね。

なんでしたっけ、これは。なんとなくこういう丸いのを描いて、描いたことは、覚えてるんですけど、なんだったかは覚えていない。

(高内)車とかとは違うんですか?

車ではないと思うわ。車が走ってるとか?

(高内)タイヤと、あと、走ってるイメージ。

うんうん、でも、じゃないと思う、これは。ただ、描きたかっただけちゃうか、これは。

──お、これは。

木か。1本やな。

──はい。これ2004年から2007年なので、まぁ、だいぶ後ですね。

もうこの辺は、普通にこういう立派な木を描いてました。1本の木が出てきて良かった、ふふふ。
一応、いつも根っこは描きたいので、これが地面の線で、でこれが地下に入ってる、地面の中に入ってるような、そういう描き方をしてます。

──これも抽象的?でもさっきのでいうと町でしょうか?

これは、そうですね、そうなんですけど、またちょっと違いますね。でも、どうかな、道らしきものも一応ありますね。こういうブロック調にしてっていうのは、町のイメージとは言ったんですけど、1枚の中からちょっとずつ切り離して、合わしていくっていうような作業をしてるんですけど、パズルみたいに組み合わせていくっていうのが、面白くてやってたように思います。ここにこれをはめたらいいかなぁ、とか。

──なるほど。

そういう描き方をしてますね。

──あ、次も同じ描き方をしてますね。

ああ、そうですね。

──はい。なんか具体的な気がしますけどね

そうなんですよねぇ。でも、これがねぇ、謎なんですよね。たぶん、上の方はそういう町のイメージかもしれないんですけど、矢印みたいなのが何なんでしょうね。ここが解けたらわかりそうな気がするんですけど。

(高内)なんか手すりかなぁ、とかいう話もちょっとしてましたよね。

言ってたね。川の橋か、でもこの線がこう入っているのがなぁ。雲梯とかも言ってたか。でも、ちょっとわかんないです、これも。

──上のやつは、三角の矢印に全部ラインテープがついてるんですけど、なんか矢印っぽくも見えますね

そうですね。全部ついてますね。なんやろねー、わかんない。

──これ、紫。色がどんどんカラフルになってますね。

カラフルになってきましたか。だんだん色に疲れてくる時期なんですよね。

これは?これなんでしたっけ ?これもわからんやつやなぁ、ふふ。

(高内)私初めて見ました、それ。ラインテープの途中に何か丸シールを貼ってる部分がありますね。

あー、うーん、分かりません、これも。

(高内)これはジョッキやって言ってたやつかな

けどね、けど変やなって言ってたやんね。それにしてはなんか、上に蓋があるなって話して。でも、まぁ、この頃ってグラスとか、カップとか、ジョッキとかそういう形をわりと描いてた時期でもあるので、多分そこからちょっとイメージを膨らまして、変な形になってるというか、そんなものかなとは思いますけど。
この、これだけで捉えたらジョッキですかね。この辺がわけわからへんねんなー。

──これもまたシンプルに。なんかこう具体的な何かじゃないものを描こうとしていた時期もあるんですか?

そうですね、そういう時期です。なんか抽象的なというのかなんというのか。

──もうちょっとこう装飾的だったりとか。

あぁ、そうですね。多分この頃かな、漢字とかの形、字の形とかが面白いなと思って、そういう作品もあったんですけど。なんかこういう描き方とかね、文字の形っていうか、なんかそんなとこから描いてるかなとは思うんですよね。何っていうわけではないんですけど。

これもわからんな、ははは。

──でもまぁ絵画的には見えるようになってきてますけどね。何か物とかではない。このカッティングシートで間をこうギザギザに抜いてるじゃないですか。これが、さっきのジョッキっぽいやつにも出てきてたりとか。

そうですね、この頃はこういう描き方を面白がってる感じですね。やっぱり、そういう時々の特徴はあるんでしょうね。

──これで一応最後ですかね。

さっきのを持ってきたのが、時代的には同じぐらいかなぁと思うんですけど。

──これ、きれい。

でもこれは覚えてないんです、何か見えます?
厚紙に描いてるから、たぶん何かに出そうと思って描いた一枚ではあるんですけどね。

──高内さん、何か分かります?

(高内)何か具体的なものって感じはあんまりしない。

しない?抽象的な感じかな?

次のこれは具体的なものが出てくる。

──人ですか?

えっとね、これ確かポストカードにしてるやつかなぁ。スポットライトとかいうタイトルを後から付けてるんですけど。人のイメージ ですね。さっきあの、ドレスの人とか言ってたのが多分同じ時期ぐらいに描いてるやつですね。これどうやったかな?ポストカードを作ろうとか言ってるときに描いてたやつでもあるんですけどね。さっきのもそうやったんかもしれんけど。あれがボツになったのかもしれない。

これは2004年ですね。人のような木。

──でも、これは2本ですね。

もうこの頃は色々描いてましたね。でも、この頃は困ったら、ぐるぐるを描くか、木を描くか、みたいな感じで描いていました、ははは。

──ドローイングに限らずですけど、光島さん作品作って、平面の話ですけど、光島さん的には触ってすごい面白くできたなっていうものが、見た人からの評価が芳しくないとか、あるいは逆とかあります?光島さん的にはあんまり触っててもどうかなっていうのが、結構見た人はからの評価高いみたいな。

あー、そうですね。そういうのは、最初の頃にはなかったんですけど、「缶コーヒーを飲む」とかね、ああいうのは、自分ではあんまりうまく描けているとは思えてなくて、けど、見せたらみんな面白いって言ってくれるので、そうかと思うようにはなった。そういうのは結構ありますね、今、ちょっと思い出せないんですけど。これはあかんやろなぁと思ってみせてみたら面白いよって言ってもらえてるような。

これは多分ね、自分で触ったんじゃなくて、誰かが木に実がなっているのが面白いとかって言っていろいろ言葉で説明してくれたのを、こんな感じかなって描いた、「実のなる木」やったかな。これも2004年ですね。

──点字でタイトルは書いてありますか?

ちゃんと読もう。2004年7月13日で、あ、この頃「森」っていうシリーズをいっぱい描いてて、その中の一枚「森12」っていう「実が落ちる」っていうタイトルでした。あれ?「森11」て書いてるな、どっちが正しいんや。2つ無いですよね。11が正しいのかなぁ。

──実が落ちてますね、地面に。

落ちてますね。実のなる木っていうのもあるんです、確かタイトルとして。

これは顔ですね。これ、ポストカードとかにもして使ってたやつが出てきたんですけど、年代的には…、あれ、書いてないや。顔の2( ツー)って書いて、ほっぺた鼻って書いてある。「ほっぺた鼻」っていうタイトルを付けたんですけど、でも、えっと目が赤いですかね?

──赤いです。

これ、ポストカードを作る時に、「赤い目」っていうタイトルに変えていると思います。これは外国人の人の顔。

──あー、鼻が高いような気がします。

アメリカ人の顔を触らしてもらって描いた。この頃いろんな顔を触らせてもらって、5分くらいで顔を触って描くというようなのを何枚かやってますね。

──次、赤と黒の木です。シンプルできれいですね。

また2本や。覚えてないけど、まぁ大体2004年ぐらいだと思います、これ。

──根っこはやっぱり全部ありますね?

ありますね。

──根っこはやっぱり描きたいってのはあるんですか?

そうですね。これはそう言うと地面はあまり描いてないかな、あるか。

──太い線が、それ地面ですか?

これ地面ですね。大概は地面を描いて根っこを描くっていう、なんでしょうねなんか見えないとこまで描きたいっていうのが、かっこよく言えばあるんですけど。心理的にあるかもしれませんね。そのうち根のない木を描けるようになったら、空中浮揚できるかもしれない、ははは

──これで、終わりですね。

ちなみに、今ポストカードを新しく作ろうとして毎日のようにというか、ここ来るたびに下書きを描いてるんですけど、まぁこれ関係なくてもいいけどちょっと見てもらってもいい?昔の絵と変わってるか変わってないか、みたいな感じですね。

──めっちゃ描いてるんですね。

至上命令で。

──ポストカードは、長野(美術館)用ですか。

いや新しくなんか作ろうというか。

──そうなんですね。すごいいっぱい作ってる。

週に2、3回ここに来るんですけどね、来たら描くって言うようなことは今まで家でもあんまりそんなしてなかったので、とりあえず描くっていうか、何か思いついてなくてもとりあえず描くっていう、そんな描き方をするのが初めてなので、そういうのもいいかなぁと思って。
とりあえず強制的に手を動かせって、前に誰かに言われたことがあるんです。そんな馬鹿らしいことできるかと、したことなかったんですけど、ふふふ。あ、ボイスギャラリーの松尾さんに言われたんやな。でも、まあ今はそんな感じで訓練みたいにしてやっています。

──でも、普通の画家の人とかも

やりますよね。

──手を動かして発見することもあるので、やることもあるんじゃないですかね。

でね、さっきの中にあんまりなかったので、話しきれなかったんですけど、今の一つの目標がね、中心のない絵を描くっていう、まぁリゾームみたいな感じかな、リゾーム、オールオーバーみたいな感じかな?そういう絵がどうしても描けない。
さっき見せた中にも、中には1つか2つそんなあったかもしれないんですけど、だいたい中心が決まってるっていうか。
で、このポストカード用のやつは、やっぱりでどうしても中心が出るんですけど、中にはそういう、ちょっと地図的なものであるとか、なんか中心が、ないようなものが、描けているのが何枚かあるかなとは思うんですけどね。今の目標はそれですよね。

──中心…、う〜ん。舩戸さん(アーカイブ、スタッフ)どうですか?

──(舩戸)中心が無い絵を描きたいんですよね。オールオーバーな作品っていうと、もう端から端まで全部何かが描写されてるとか、埋め尽くされてるみたいな感じですか?

そうですね。

──(舩戸)一番早い方法はそれなんですけどね。

なんか、そういうのをカッティングシートだけでやったのもあったんですけど、どうしてもどうしても中心が出てきてしまうっていう悪い癖があって、ふふ。

──悪い癖でも無い気がしますけど。

なんかね、そこに至るようになったのは、木じゃなくて、根っこだけを、地下茎を描きたいと思って描いていたりして。ツリーじゃなくて、リゾームがいいかなって。

──リゾームは、地下茎でしたっけ。

うん、でもそれがね、なかなか描けないんですよね

──あ、そうか、哲学書からの話でしたっけそのリゾームって。

あ、そうですね。

──前に、おっしゃってましたね。

そうやね、それと粘土でもそういうことちょっとやってましたね、1回作ってそれを切ってまた別な形に繋ぎ合わすとか。そうか、切ってしまうってのもありか。

──アーカイブで撮ったやつで、結構全面に描かれている作品がありましたよね、黒地の。

(高内氏)あ、「夜の森」やと思います。黒地にいろんな色でこうばーっと線とか丸とか入っている。

──そう模様的な、それを今思い出しました。

あれはもうね、自分描いててもわけわからんようになって

──そうなんですか?

投げ出したわけでもないけど、とりあえず描くしかないと思って描いたんですけどね。思い出せないというか、もう全然、描いた記憶はわからなくなっている。

──あれは結構、画面全体に均一に手が入ってる

(高内)描いてて、わけ分からなくなったらちょうどいい感じかな、ははは。

そういうことか。
何描いてるかも分からなくなって、でもまぁ夜やし夜の森を描こうとしてるんやからそれでいいかと思って、描き続けたという、そういう作品。で、やっぱりその木の幹とかがあって描くと安心して描けるじゃないですか。それが中心で、そこから枝が出ていってるとかね。

やっぱり、安定性を求めているということもあるかもしれませんね。少なくとも描き始めた頃はそうでしたね。どうしても真ん中に真ん中に持っていくので。しかもあの、こじんまりと、ていうのはよく言われてました。

(高内)やっぱり触って確認しながら描くじゃないですか光島さん。そん時になんか起点となる場所が欲しいってなると、中心が付いてしまうんですかね。

そやね、あると思う。

──どっちがいいかわかんないですけどね。

どっちがいいかは、うん、そらね、いいんですけど、描きたいのに描けないっていうのが嫌なんです。新しい表現になるかもしれないし、ならないかもしれないけど。

──光島さんこれとかも特に具体的なモチーフ無しで?

そうですね。これはモチーフないですね。

──じゃあ、線の構成みたいな感じで。

そうですね。適当にカッティングシートを切ったところから始まってるので、行き当たりばったりっていう感じですかね。

──なんかこの、何かにも見えるけど何かわからないくらいが面白かったりしますね。

あれ分かりますかね、あれ。絶対、高内さんに分からへんやろと思って。

(高内)あ、地図ですか?

地図って言ったらあかんやん、ははは。

(高内)すんません。

──もうバレてしまった、ははは。

(高内)最初のやつですか?

いくつも描いてるのでどれでもいいんですけど。

──その辺は地図っぽく見えます。

見えるかー。絶対分からへんやろうと思ったんやけど。

──光島さん、これとか、これ、もういっこ大きいやつはけっこう、地図に見えます。

(高内)地図丸出しだと思うんですけどね、ははは。

絶対分からへんやろて思って、見せたら、地図や言われて。針灸院からここまでくる道のりをね描いてるんですけどね、かなり自分では抽象化して描いてるし。このぐるぐるのとこはセブンイレブンの駐車場。地図もまあ、どっちかっていうと中心が無いじゃないですか。

ちょっとこの間ブログにも書いてたんですけど、昔のスケッチブックを触ってると、やっぱり、思い出すことが結構あるじゃないですか。僕の場合は写真はまぁ基本見れないし、アルバムを見て懐かしむとかって言う経験もないわけですよね。アルバムは持ってたとしても誰かが整理してくれて、修学旅行の写真を貼ってくれてるとかっていうことやけど、見返すことはない。だからこのスケッチブック触ってると、その当時の思い出せるとこは思い出したりとかするので、僕にとってのアルバムっていう意味では、こういうのがアルバムの楽しみ方なのかなぁっていうか、思い出すってこういうことなのかなっていうのをそういうことは実感しました。

──言われてみれば、確かにそうですね。あとその2003、4年でしたっけ?のやつよりやっぱ描き始めた95年とかの方が覚えてるっていうのは、やっぱり描き始めで色々やってたっていうのもあるんですかね。

うーん、分かりやすいですよね、なんかね。なんか複雑なことをしてない分、分かりやすいんじゃないかなぁと思って。
まぁ、描き始めた頃で、新鮮さもあるかもですね。とにかくその最後の方の2004年から2007年ぐらいというところは、いっぱい色を使ってやろうって使ってますね。それが一体何のために使っているのかわけ分からなくなって来ている時期になったんですよね。なので、それが行き着くとこまで行き着いてもうあんまり最近、色のことは気にしないようにして作ったり、釘の作品とかということにいったり、触覚的なものにいったりちょっと色を離れる前、前夜というのか、それがちょうど2007年2008年ぐらいやったと思うんですよね。だからその辺の絵は自分でも、色を使ってて面白いかもしれないけど複雑になり過ぎてというか、自分の手に負えなくなってきているっていうか、そういう時期でもあるのかなぁと思いますね、今から思えば。

──ポストカードはけっこう色を使ってるんですね、今回のやつ。

あーでもね、なんというか、ここは何色を使うというのはあんまり考えずに、ただ色を変えたいところを違うものにしてるだけで、もう最終的には色をちょっと作ってもらおう、作ってもらうっていうか、適当な色を合わしてもらおうかなって思ってるぐらいの感じで描いてるんですよね。だからあんまり色そのものは意識せずに。

──そんなに重要視はしていないってことですね。なるほど。

これまた難しいんやなぁ。高内さんの腕が問われるというか。

(高内)困るんですよねいつも。色を適当にやってって言われて、はは、それでもやっぱり光島さんっぽい色というのがあるから。あまり中間色とかを使わないようにして、こういう感じの色をなんですけど、やってって言われてるんですけど、どうしたらいいのか。

やってじゃないで、売れるようにしてって。

あはは

──責任が重いですね、それは。

最近はもう色をあんまり深く考えるのがしんどくなって

──そういえば聞いてみたかったのが、光島さん、自分の初期の粘土の作品が、美術館で触ったロダンとかイサム・ノグチに比べて面白くなかったってなんかで書いてて、その触って、面白いと面白くないの感覚ってどんな感じなのかなって

う〜ん、なんかやっぱりね、自分の作品はもっちゃりしてるなーと思ったんですよね。もうちょっと切れ味よく作りたいのに作れてないとか、だから技術的な問題が大きいとは思うんですけど、どうしても手で触って作るじゃないですか。それで、指の跡とか残るし、まぁそれがいいっていう人もいるんやけど、僕としては当時は、あのちゃんと削ってスパッと切った形というか鋭い形とかを出したいけども、なかなかその技術は難しくって、そこに至るには、まだまだ先は遠いなと思ったんですよね。

だから、まぁ時間があればそれもいいかもしれないけど、どっか 美術学校とかなんか大学とかに行って専門にそれをやれば、何か出来るようになるのかなぁ、とは思ったんですけど、そこまでやってる余裕もないし時間もないから、もっと何か違う方法ないかなって思って絵の方に行ったっていう感じですかね。

──大きなフォルムとしてもやっぱりそういうロダンとかの方がいい形やなって思わはるんですか?

あ、ロダンとかあんまり、

──あ、ロダンじゃないかな、その時何を挙げてたかわかんないですけど。

まぁイサム・ノグチとか、石の彫刻の人を多分挙げてたと思います。あの、そうですよねだから、まぁ大きいものを作りたいという気持ちもあったし。それはなかなか家で粘土やってるぐらいじゃできないじゃないですか、そういうところにも感じてたし。

それとロダンはね、その当時触ったことあるんですけど、あんまりいいなぁと思わなかったんですよなんかゴツゴツしてて、写実的やって言われるけど、僕が例えば患者さんの身体触って感じているのと比べたらね、あまりにもデフォルメされてるし、それが写実とは全然思えないし、あんまりいいと思わなかったんですよね。

で、最近ロダンをちょっとまた触ることがあって、そうしたら、いいなと思いました、あははは。

──そうなんですね。

なるほど、こういうふうにデフォルメをちゃんときっちりしているという、それが写実的やっていう意味なんやなと思って。そこは昔は僕の感覚では分かりませんでした。

聞き手:今村遼佑、舩戸彩子(アートと障害のアーカイブ・京都)

Profile
作家プロフィール

  • 光島 貴之 MITSUSHIMA Takayuki

    10歳頃に失明。大谷大学文学部哲学科を卒業後、鍼灸院開業。鍼灸を生業としながら、1992年より粘土造形を、1995年より製図用ラインテープとカッティングシートを用いた「さわる絵画」の制作を始める。1998年、「'98アートパラリンピック長野」大賞・銀賞を受賞。他作家とコラボレーションした「触覚連画」の制作や、2012年より「触覚コラージュ」といった新たな表現手法を探求している。また、触覚に着目したワークショップにも精力的に取り組んでいる。