インタビュー

松原日光についてのインタビュー

2019年07月15日 (月)

鮮やかな色彩と大らかな形態で、独自の刺繍作品を作る松原日光さん。お父様の自作だという大きな和時計やコレクションの柱時計に囲まれたご自宅のリビングにて、お母様の松原祥子さんにお話を伺った。

(最近の作品と作品アルバムを見ながら。)
──この汽車の絵が、刺繍の作品の一番最初って言ってましたよね。

そう、煙が紫色だったのを、私がそれは変だと思って、ねずみ色でやり直したんですよ。でも、そうしたら全然面白くなくなくて。もう一度、紫に直したら、ふっと生きてきて。それで、ひかるのセンスはすごいなーって思って、びっくりしたんですよ。私、教育大で油絵をやってきたんですけど、全然この子に負けます。色彩と画面構成の力強さは本当にすごい。近くて見てて綺麗やし、遠くから見てもインパクトがある、そういう絵はなかなか描けないと思います。

──16の時にこの最初の作品ですか?

そうそう、高校二年生。
それまでは、絵は学校で描いたりぐらい。そのころまでは、お仕事につけるように内職をしてたんですよ。でも、それがその年に不景気でなくなっちゃって。それで、なんかしようということで、私が刺繍でもしたらどうやろかと。小学校の頃からミシンを縫ったりで器用やったから。私がやって、これもやるか?と動作でやっていたら、自分でもやるようになって。ほっといて、三日目で見てみたら、ものすごい綺麗でびっくりして。えー、と思って。ほんで、ウォールポケットにするつもりやったけど、これはつかったらもったいないと思ったんです。

──最初は、じゃあ、作品というつもりではなかったのですか。

いや、今でもそうですよ。時間潰しというか。気が向いた時の。
最近は、縫い目が荒くなってきているんです。昔は細かくしてたんやけど、だんだん早くしたいからか、荒くなったというかワイルドになったというか。初めの頃はものすごく細かくて、いわゆる「刺繍」だったんですよ。でも最近のは「絵画」という感じがしますね。糸遊びというか。ひかるの世界ですね。特に教えてないのに、好きなようにやってきてこうなってきたんです。こうしてみ、というっても絶対にしないんですよ。

──ファイルに作品をまとめられていますが、解説もいいですね。解説の文章を書かれたのは、作品の制作後の近い時期ですか?

いや、もうそれからしばらく経ってからです。家で写真とってまとめました。
これは、沖縄に行った時のものです。シーサーの絵を描いていて、帰ってきてから制作すると本当に沖縄の色で。どっかにまだ旅行の時の感覚があるんですね。この頃、ものすごく面白い。はじめは、「船に乗りたい」とか「飛行機に乗りたい」とか、そういった想いで刺繍してたんですど、今はそんな目的がなくなってきたみたい。
あ、これ、ここがものすごく暗くてね、でもこれが好きやっていう人がありますねえ。でも、これで一年半ほどやめたんですよ、あまりに暗いので、やめときといって。
ほんで、だいぶ経って再開する気になってやったら、スカッとした明るさで。タンカーとか、掘削機とか。その時々で、いろいろ変化があって、だから日記みたいなもんやね。

──背景の布の色との関係で色使いが変わってますね。

そうそう、どんな色に使うやろっていうのが面白くて。
刺繍ていうのは、色がすでにあるわけですよ。絵の具だと混ぜたら濁るけど、刺繍は糸を持ってきたらいい。刺繍糸って200、400色あるしね。ちゃんと濃淡になっていますよ。すごいセンスやなと思って。
でも、今もちゃんと経過がある。こんな風に変わってきていて。面白い。私にしたら、このままの形でわかりやすい絵になってくれたらいいと思っていたら、全然違ってこんな風な絵になってきたというのは、、、すごく大変やね(笑)

(昔のアルバムを見ながら)
──全然変わってないですね。

これが嶋本先生(*注1)の文章。随分、ひかるのことを高く評価してくれて。ものすごく面白い先生でした。

──そういえば、京都の今村花子(*注2)さんも嶋本昭三さんが最初に評価したと聞きました。

そうそう、同じ学校でした。嶋本先生は、ちょうど教育大付属養護学校の校長先生になってくれはって。卒業してから、作品が大分溜まってちょっと個展したら、見にきてくれはって、おもしろいなっていって、AU(*注3)に入れ入れ、て言ってくれはって。

──その時の個展をされたのはどういった経緯だったのでしょうか?

耳のお医者さんにいっていて、親しくなって、「こんなことするんですよ」と刺繍をもっていったんですよ。それが、いつのまにか、向かいのめぐみホームというところにもっていってはったんです。そしたら、すぐにやってきはって、うちで展覧会しようって。すごく理解のある人でした。

──作品はどのくらいで仕上げるんですか?

いやー、何ヶ月かかかりますね。小さいのはすぐできるけど、大きなは一年とか。それでも、ずっと根を詰めてやってたら、けっこうたまりますね。もう2、30年やっているから。私の絵描きの友達からもよく続くなってすごい感心してたりします。
私らは、ひかるとの3人の生活にとっては、刺繍してるっていうのは、完全に日々の生活の一部なんです。おふろ上がったらやってるし。

──仕事から帰ってきたらやられているんでしたっけ?

そうですね。この頃は、発作がでて、疲れるので、早く帰ってきているんですわ。余計時間ができてね。まあ、そういうほっとする時間があるほうがいいのかなと。

──時計の音がいいですね。柔らかい。(リビングには、お父さんの手作りの大きな和時計やコレクションの柱時計がいくつも置かれている)

ああ。ほっとしますね、癒されるというか。めぐみホームで展覧会に寄せて書いてくれはった文章にもこのリビングの時計の音に着いての話があるんですよ。

──時計はその当時からですか?

ああ、もっとあったんですよ(笑)。この文章です。これも、いいんですよ。

これ、小学校の時。こんな私が縫ったカバンに、ひかるの作品に。

──エプロンにきちんと刺繍されたものもあって、かわいかったです。

そうそう。そやけど、なかなかあういうのはなかなかやる気がしないみたい。
妥協をしないというか。カバンとかに、やってくれといっても絶対やってくれない。せやから、面白いもんができるんやろうなと思ったり。妥協しないところが、この子のあれかなあと思ったり。

──モチーフはその都度、変わる感じですか。モチーフとしては、風景と、乗り物と、植物と、、

そうですね、私がこれ、やってくれる?といったらやってくれたり。
あと、動物。動物園が好きで、本当に見たものをやっていますね。
これは、家の近くに咲いていた花。モチーフが、私の、日光の範囲内やから、朝顔が咲きたときに、してみる?とか言うたら、こんな絵になって。シュールですね(笑)。なかなかこんな風にね、描けない。友達が、これ面白いなあ、日光の感性やなあって。絵って言葉と一緒で、キリンがキリンやと伝わったらいいという頭しかないから、上手に描いてやろとかそんなんがないから、本当に絵を描いているとか、作品作っているとかいう意識はないんちゃうかなあ、と。

──日記も撮影させてももらったんですが、あれはいつから続けているんですか?

もう小さい時からですね。小学生ぐらい。意識的にやったのはいつやったかな。。。とにかく、言葉、単語が増えればいいとおもって。実生活の中から、「あ、これがそうやったな」と言葉に結びついたら、すごく繋がりがいいしね。だから、繰り返し同じこと書いていますね。そんな変わることがないし。土日ぐらい?ちょっと出かけたりしたら、もう少し書けたりするけど。

──日記の絵の方は十年ぐらい前と全然変わっていなかったりしますね。

そうそう、全然。小学生の頃と全然変わっていない。絵を描くっていうより、文字やね。伝えるためのものやから、上手く描こうとか全然ない。

──文字は変わってますね。最近のはだいぶ読みやすい。

そうやね。見やすくしてくれとか言うてるんやけど。関わったら、変わってくるんですよ。

──旅行によく行かれてますよね。

旅行は大好きで、年に多い時は3、4回。それが楽しみでお仕事する、ていう。電車が好きなものやから。乗り物オタクですね(笑)。

──遠くに行きたいとかですか?

いや、もう電車に乗りたい、ですね。地図を見るんですよ。毎年、時刻表買うのが楽しみで。新幹線乗って東京にいって、千葉に行って、銚子電鉄乗ってっていう。しおさい、やったかな?詳しいんですよ、東京からしおさい乗って銚子まで行って、銚子電鉄乗って犬吠埼行こうと。
字はかけるんですけど、なかなか。言葉がわからへん言葉を書くんですよ。

──紙に書いてコミュニケーションもされるんですか?

うん、そうそう。これ(リビング脇にある、単語を書いた紙が入れられたウォールポケットを前に)、いちいち書いてたら時間がかかるから。こう、〇〇行く、××行く、とか。なかなか捨てられない。書いていると時間がかかるでしょ、これ探して、おしゃべりするんです。
でも、関係ないのは、増えませんねぇ、やっぱり。興味ない部分だったり。

──文字書くのは好き?

うん好きみたい。昔は、コミュニケーションがそれほどでもなかったんやけど。二十歳過ぎたことから、ちょっとずつ、この頃はずっと話してるっていう。
今回も、(アーカイブのスタッフが)見にきてくれるというというので、作品をアイロンかけて黒い台紙に貼ったりしてたら、また面白く感じるようになってきたようで。ほっといたら、面白くなくなるというか。人間的な関わりとか、絵を描くっていうのも、背中を押してくれるものが必要にみたい。やっぱり期待されたりとか、展覧会もいるのかな?そんなに喜ばないような感じやけど(笑)。でも、展覧会も出したりせんなんのかなあっと思ったり、試行錯誤でわからない状態で過ごしているんです。もう私もだいぶ年いったから作品のこと考えないとなと思いながら、だらだらと過ごしているんですね。なんか、作品が売れるっていうのもね、酷なようで。普通でも大変やしね。日々楽しく生活していけたらいいか、という中で、刺繍していることが一つの広がりになったらと思っています。今回のような接点もできるしね。

──人にみてもらうことは、嬉しいという気持ちはあるんでしょうか?

うん、あるみたいですね。言葉で表現できない部分がね、あるんだと思います。
でも、言葉が全然でなかった子が、出るようになって。本当に面白い。日々、しんどいことも多いけど、楽しいことも。毎日、山登りしているみたい。歩いているときは二度といややと思いながら頂上いったら、「はあ、何といい景色や」と思って、しんどかったことは全部忘れてしまうという心境ですね。だから、出会えたから、すごい豊かになった。そうでなかったら、私はもっと面白くない人間やったやろなと。今、育てている人に、ラクしようラクしようって思わはるけど、そんなん損やでって言ってあげたい。苦労した方が実りが大きいよって。

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*1 嶋本昭三(1928年~2013年)。前衛美術グループ「具体美術協会」の中心メンバーとして国際的に活躍した美術家。1989年から2年間、京都教育大学附属特別支援学校の校長を勤めた。
*2 今村花子、1979年生まれの京都在住のアーティスト。
*3 1975年に「アーティスト・ユニオン」として60年代に活躍した作家を中心に結成され、1980年に「アート・アンアイデンティファイド」略称「AU」と改名される。嶋本昭三は1976年から事務局長として活動を支えた。初期メンバーは次第に去り、若いアーティストが多く参加するようになった。

聞き手:今村遼佑、舩戸彩子(きょうと障害者文化芸術推進機構)

Profile
作家プロフィール

  • 松原 日光 MATSUBARA Hikaru

    旅行で見た船や飛行機、季節ごとに庭に咲く花々は大きな「刺繍の絵画」となって表現される。震災に心を痛めれば物憂げな動物がキャンバスに現れ、参拝した寺院に感銘を受ければ花びらに独特の模様が現れる。繰り返される毎日の中で繰り返される針の動きは、鮮やかな色彩を伴って松原の世界を紡ぎ出す。

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